小説『記憶のいろは』第四章その一

 中学生になったら状況が変わると、少し期待していた。
 小学校時代の同級生は三か所の中学に分かれたし、心機一転、うまくやっていこうとも思っていた。

 だけれど待っていた現実は、理不尽な毎日だった。
 私が入った中学校は数年前まで荒れていて有名だったという。
 卒業生がバイクで校内を走り回ったという伝説まで残っているような学校だった。

 地毛自体が茶色の者や、天然パーマの人間は入学時、保護者署名済みの書類を提出しなければならなかったし、学年集会のあと抜き打ち制服検査もあった。
 書類を提出したのに毎回教師に止められる生徒すらいる。
 私は小学生の時の失敗を繰り返すまいと、地味な生徒を演じていたから、止められたことはないけれど。

 廊下を歩いていると、運動部の同級生が廊下の端により「こんにっちっはー! こんにっちっはー!」と挨拶していた。
 おかしな拍子を付けたこの挨拶は、上級生の姿が見えなくなるまで続けなければならないらしい。
 見ているだけで、うんざりした気分になる。

 友人とも呼べない程度の同級生に話を聞いたら、街中でも上級生の姿を見つけたら、同じようにしなければならないらしい。
 誰といても、どこに居ても、だ。
 ……本当に馬鹿みたいだ。

 合唱部の練習は第二音楽室で行われる。二階の端にある、あまりひと目につかない場所だ。
 休憩時間、校庭を見ていると、「こんにちはー!」と叫んでいる男子生徒の姿が見えた。
 校庭のはじから上級生が「聞こえねーぞ! もう一度!」と返す。

「こんにちはー!」
「聞こえない!」

 何度も何度も繰り返されるやり取りを見ながら、『「聞こえない」って言ってる時点で聞こえてるじゃねーか』と私は思う。
 同級生が上級生にトイレに連れていかれた。という噂は絶えず流れていたし、卒業生が校門前で待ち伏せお金をせびっている様子も何度か見かけた。

 ――なんなんだこの学校は。

 勉強するために中学校に入ったはずが、勉強よりも軍隊か刑務所に間違えて入ってしまったのではないかと思えてくる。
 本当に不愉快で、本当に理不尽な毎日だ。

 きっと私の心は不満だらけだったから、それは表情にも現れていたのだろう。

「お前何こっち見てんだよ! 見てんじゃねーよ!」

 教室で一人ぼんやり周りを見ていると、近くの席にいた一番派手なグループの一人がそう絡んできた。
 男女混合のグループで『大声こそ正義』と思っているような連中だった。
 下品な事を言って、下品に笑う。私はそのグループが大嫌いだった。

「……見てないから」

 ついと顔をそむけ、またも思考の海へと乗り出す。
 だがそれが気に入らないのか、先程の一人だけではなく、全員で「見てたのちゃんと確認してたし!」「今後一切こっち向くんじゃねーぞ!」と口々に私を罵ってきた。
 そして最後に「お前キモいんだよ」と誰かがいうと、みなで爆笑する。

「やっぱり思ってたよね?」
「思ってた! 思ってた!」

 心まで知らんぷりできれば楽なのに、私にはそれができない。
 キモイと言われれば「そこまで私はブサイクか」と思うし、一切こっち向くんじゃねえと言われれば「ここにいたくない」と思う。

 家では姉の反抗期もおさまったが、私だってそれ相応の反抗心が芽生えてきている。
 でもそれは家で発揮するものでもないと考えていた。
 姉と母との対立はあまりにも私の心に強い衝撃を与えたのだ。

 ……もしここではないどこかで暮らしていいというのなら、私は何の躊躇もなく軽やかに飛び出していっただろう。

 でも小学生のころとは違い、今の自分が一人で生きていけないこともわかっている。
 誰かが学校をさぼって補導されたなんて話は日常茶飯事だったから。

 世の中はきっと救いのないもので、何の意味もないものだ。

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