小説『記憶のいろは』第六章その三

「プライバシーに関わるので詳細についてはお話できませんが、一回目の原因は私との診療方法をめぐっての諍いです。その時はあなたと同じように、井上美衣さんがいらっしゃいました。それはもうすごい剣幕で。あまりの形相に、私もさすがにぎょっとしましたね」

 その当時を思い出したのか、木坂先生は苦笑いを浮かべた。
 この穏やかな医師をぎょっとさせるなんて……と思うが、同時に先生は美衣さんに会ったことがあるのだと知る。

「二回目はその美衣さんとの諍いです。また美衣さんが乗り込んできたのですが、今度は「聡美がどこに行ったか心当たりを教えろ!」と暴れまして。「知りません」と答えたらすぐに帰りました。その後すぐに聡美さんは帰ってきたようで、わざわざ「あの時はごめんなさい」と謝罪の手紙をいただきました」

 それはまるで私が生まれる前の出来事なのではと思われるほど、遠い過去の話だった。
 けれど「先生の口から語られる美衣さんは、聡美さんが教えてくれた美衣さんそのだ」とも思う。

「……ただ」

 先生に視線を向けると、眉間にシワを寄せ渋い表情を作っていた。

「先生、なんでもいいので教えて下さい。私にはもう心の準備は出来ています」

 昨晩から、もう二度と聡美さんとは会えないのではないかと本当は思っていた。
 思いたくなくても、次々と嫌な想像ばかりが浮かんでくる。
 もし、私が出会わなければ聡美さんはいなくならなかったのではないか。
 何もかもを消し去る疫病神は私なのではないか。……そんな思いが頭にこびり付いてはなれない。

「……ひまわりさん。ここで手を引くつもりはありませんか?」

 言葉はちゃんと耳に届いているのに、言葉の意味がわからない。

 ……手を引くつもり? それは聡美さんを見捨てろということ?

「そ、そんな。そんなことするわけないじゃないですか! 聡美さんは私の大事な人なんです! 先生、何言ってるんですか!」

 私は必死になって先生の言葉を否定するが、その言葉に先生は顔を曇らせた。
 私の中で困惑ばかりが広がっていく。

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