小説『春を待つ蟻』最終章その五

「……ちゃん……真衣……ちゃん」

 誰かが私を揺すりながら呼んでいる。
 目をこすりながら声のする方をぼんやりと眺めると、愛名が居た。

 ……私は一階の客間に寝ているのに、なぜ二階の愛名がいるんだろう?

「んー?」

 私はいつもの癖で、スマートフォンに手をのばすと、朝の五時過ぎだった。
 起きるにはまだ早い。
 昨日は丸一日、四人で荷物の片付け作業を行った。
 父は頑張って愛名の分の荷物を片付けてくれたが、それでもまだ半分以上残っていたのだ。

「真衣ちゃん、愛名見たの」

 私の顔を覗き込む愛名は、小さい明かりが逆光となり真っ黒になっている。

「……見たって何を?」

 私はなんとか上半身を起こして、頭を掻いた。
 まだ二十六だというのに、全身が筋肉痛だ。

「愛名、お母さんの夢、見たの!」
「……え?」
「お母さんが初めて夢に出てきてくれたの!」

 オレンジ色の明かりの中でも、愛名が興奮しているのがよく分かる。
 私はその言葉で目が覚めて、「なんて言ってた? 姉ちゃん」と尋ねた。

「お母さん、愛名にすごく謝ってた。愛名ごめんね。お母さんが間違ってたねって」

 ……そうか。姉ちゃんは愛名に謝ったのか。

「愛名、ちゃんと文句言った?」

 笑いながら愛名の頭を撫でると、「言わないよ!」と大きな声を上げる。

「愛名お母さんに抱きしめてもらったの。愛名もごめんなさいって言えた。また来てねって言ったら、もちろん来るよって」

 愛名の声は泣き声なのに、顔は笑っていた。
 だから私は「そうかそうか」と言いながら、姉の代わりに愛名を抱きしめる。

 人が聞いたら、ただの夢と言うかもしれない。でも律儀な姉だ。愛名の夢の中に出てきて謝っても、何もおかしくはない。

 ――姉ちゃんと愛名、和解できたんだ。

 私はわざと愛名を左右に揺らして、「よかったよかった」と声を出して喜んだ。


 秋の朝はまだ薄暗く、日中に着るジャケットでは肌寒いぐらいだ。

「ねえ、真衣ちゃん、どこに行くの?」

 私は愛名の手を握り、記憶を探りながら道を歩く。

「姉ちゃんと私の、思い出の場所」

 せっかく朝早く起きたのなら、二人だけであの場所に行きたかった。
 少し湿った空気が頬に当たる。
 私達が旅した期間天候に恵まれていたけれど、昨日は久々の雨だった。

「ここ、ここ。うわー、思ったより小さいな」

 私達の目の前に現れたのは、よくある住宅街の中の公園だ。狭い公園に動物の遊具と、滑り台。あとはうんていが出来る遊具しかない。
 公園前の自動販売機で、ブラックコーヒーと、愛名が選んだサイダーを買った。
 商品が落ちてくるガコンという音が、住宅街に響き渡る。
 公園をぐるりと囲む柵に腰掛けて、私はプルトップを開けた。

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