小説『春を待つ蟻』最終章その六

「ここの公園にね。こっちに来るたび、姉ちゃんと遊びに来たんだよ」

 開いている手で滑り台を指差した。

「あのすべり台の滑りきった所あるでしょ? あそこ砂があるんだけど、私子供の時砂場だと思ってたんだよねぇ。シャベル持って砂、掘り起こしてたよ。なんでいつも姉ちゃんが『真衣危ないよ!』って言ったのか、今意味がわかった」

 苦笑いを浮かべて、缶コーヒーを口にする。
 愛名の方を確認すると、その瞳に幼い私達姉妹の姿が見えているのではないかと思うほど、滑り台をじっと見つめていた。

「……ねえ愛名。愛名は最初から、姉ちゃんが私を嫌っていないって知ってたよね?」

 確認することでもないとは思ったが、ついそんな言葉が出てしまう。

「……うん」

 愛名は滑り台を見つめたまま、少し微笑んだ。

「だってお母さん、こっちに来るたび怒ってたもん。……なんで真衣は来ないんだ! って」

 その口調が姉そっくりで、私は声を上げて笑ってしまう。
 そうか。だから愛名は私に「なんで名古屋に来なかったんだ」と怒ったのか。
 心のなかで「姉ちゃんごめんね」と言うと「本当にもう!」と姉の怒った声が聞こえた気がした。

「……愛名も真衣ちゃんと一緒だったの。お母さんが愛名のこと嫌ってるって思ってた。……でも真衣ちゃんのこと考えると、もしかしたら愛名も勘違いかなって」

 愛名の目がこちらを向く。その目はさみしげで、私は見守ることしかできない。

「でも、勘違いじゃなかったら。とか、愛名、お母さん殺しちゃったとか。すごく……怖かった」
「そっか……」

 私はまた愛名の肩を抱き寄せる。
 今では当たり前のように肩を抱き寄せる彼女とも、最初はぎこちない関係だった。

「……真衣ちゃん、もう帰っちゃうの?」

 愛名の肩が震えている。それでも私は頷いた。

「うん……。そろそろ帰らないと、来月の給料厳しくなっちゃうから」

 離れたくないのは私も一緒だ。
 ここに愛名と共に居られたら。そう願う自分が居た。
 でも私にはやらなければならないことがある。昨日丸一日、そのことばかり考えていた。

「ねえ、愛名。私、愛名に謝らなきゃいけないことがあるの」

 私は缶コーヒーを足元に起き、ポケットに手を突っ込んだ。
 そしてポケットの中の茶封筒を愛名に差し出す。

「実はね、愛名をここに連れてくるのに、私、じいちゃんに条件出したんだ」

 愛名は不思議な顔をして茶封筒を受け取り、中を確認して驚いた顔をあげた。
 中にはまだ万札が数枚残っている。

「仙台までの旅費と、ここに来るまでの旅費。前払いで渡されてたんだよ。……それで差額を貰おうと思ってた」

 ハハハと笑ってみるけれど、なんだかうまく笑えない。
 自分が浅ましくて、情けなくて、恥ずかしい。

「……そのお金、愛名にあげる」
「駄目だよ! 真衣ちゃんがもらったんでしょ?」

 愛名が封筒を返そうとするけれど、私は首を横に振る。

「ちゃんと自分の旅費はもらっているから安心して。……それにそのお金は、これからの愛名に必要になるの」

 泣いては駄目だと思うのに、目の縁からどんどん涙がこぼれてしまう。

「愛名……。もし学校とか家で嫌なことがあったら、そのお金で、私のところまで逃げてきな。逃げて逃げて、逃げまくって。もう絶対……自分を傷つけようとしたら駄目」

 可愛い愛名。大切な愛名。姉ちゃんが最後まで守ろうとした大事な子。

「逃げてきたら、私がなんとかする。なんとかしてみせる。だから約束して」

 愛名の目がどんどん赤くなって、大粒の涙が溢れ出す。
 そして何度も私に「約束する」と頷いて見せた。
 私は腕を伸ばして、愛名を抱きしめた。

「愛名ごめん。中途半端にしか助けられなくて、ごめん。……もっとちゃんとした大人だったら、愛名を引き取れたのに。本当に、ごめん」

 腕の中で愛名が頭を何度も横に振る。

「私、もっとちゃんとした大人になって、愛名をいつでも迎えられるようにするから。辛くなったら……いつまでもいられる……場所を作って……おくから」

 ダメだ、もう言葉がうまく出ない。
 愛名と別れるのがこれほどまで辛くなるなんて。

「真衣ちゃん……ありがとう。ずっと……愛名の味方で……いてくれて、ありがとう」

 ――こっちこそ、ありがとう。

 そう言いたかったのに、声が出なかった。
 誰かをこれほどまでに大切に思う気持ちを、愛名が教えてくれた。
 姉に対する誤解も、自分が作り出した思い込みも、愛名が全部流してくれた。
 だから愛名のために何が出来るか一日中考え決めたのだ。

 ……もし愛名が、春を待つ蟻だとしたら。私はいつでも春の場所を作っておこう。ひだまりが温かいくつろげる場所を作っておこう。と。

この記事へのコメント