小説『記憶のいろは』第十章その六

 カーテンを開け放し、光が満ちた聡美さんの部屋で私たちはくつろいでいた。
 美衣さんは全てを吐き出し気分が良くなったのか、ベッドの上で猫田さんとくすぐりあって笑っている。

 私は外の様子をゆったりとした気分で眺めていた。
 ここからは空しか見えないけれど、それでも時々飛び去る鳥や過ぎ去る雲を見ているだけで心が落ち着く。
 美衣さんがこの世界を愛した気持ちもよく分かる。
 現実世界も素敵だけれど、このベランダの向こうには今までみたことのない、幻想的な生き物が住んでいると思うだけでワクワクしてくるのだ。

「そうだ、ひまわり! 今あたしが描いてる絵にヒマワリを描こうか悩んでるんだけど、ひまわりはどっちがいい?」

 真面目な口調で語りかけてきているというのに、そのすきを狙って猫田さんがくするぐるのでまた「ぎゃはは!」という声が部屋に響き渡る。
 その様子が楽しくて、私も微笑んでしまった。

「すごく嬉しいですよ。あ、でも、なんで美衣さんは女性の絵を描かなくなったんですか?」

 これはずっと気になっていた部分だ。
 美衣さんが描く女性はあの森が焼け落ちるシーンから出なくなっている。
 もしかしたらあの女性は殺されたのではないかと考えていた。でも美衣さんはちゃんとここに居る。

「絵に自分の気持ちをのせる必要なくなったのが一番かな。それに今はノームさん達の再建の様子を残しておきたかったし。……本当は猫田さんも描かない予定だったんだけど、榊さんが『絶対猫は描いてください』っていうからさ。注目され始めたところなんだから、絶対必要なんだって!」

 ……なんだ榊さんの提案だったのか。

 女性が居なくなっても、猫がいつづけた理由はもっと心理的な出来事だと思っていた。
 どうやらそこは想像しすぎたらしい。

「じゃあ、森にヒマワリが咲いていたら描いてください。その方が自然になりそうですし」
「猫田、みんなで森に行きたい! みんなでヒマワリ探す!」

 猫田さんがまた体を左右に揺らし始める。
 隣で美衣さんも「あたしも行きたい!」と両手を上げた。

 確かにあの森を直で感じ取れたら、最高の癒しになりそうだ。
 あの森の不思議な生き物を見るのも興味深い。
 三人で森を散策して、お弁当を広げて……。なんと幸せな光景だろう。

「そうですね。じゃあ私、腕によりをかけてお弁当を作りますから、ピクニックにでも行きましょうか!」

 口から自然に出た言葉に、自分自身が驚いた。
 『あれ、私こんなに楽しい気分なのか』と。
 それに食べる必要が無いのなら、もう料理なんてしない。あの日以来そう思っていたのに。

「ピクニック! ピクニック! ひまわり料理作れるなんて知らなかった! 聡美と同じで料理出来ないって思ってた! 嬉しいー!」
「猫田、美味しいご飯食べてみたかった!」

 喜びのあまりベッドで跳びはねる二人が発した衝撃的な言葉に、私は目を見開いた。

「……嘘でしょ? だって私、聡美さんと一体だった時、ちゃんと料理作っていましたよ! ちゃんと栄養面も考えて献立作っていたし、おやつも全部手作りで! それにほら、ここの冷蔵庫にちゃんと食材入っていましたよ!」

 取り乱す私を見て、二人は跳びはねるのを急にやめ、「あー……」と渋い顔をする。

「……あれは全部野菜炒めの材料。栄養になるんなら、野菜炒めで十分なんだってさ」
「猫田が食べた聡美の野菜炒め。こんにゃくまるごと入ってた!」
「猫田さん、それはまだ当たりのほうだよ。あたしが食べたのは野菜炒めに生魚一匹入ってたよ……。あれ食べてお腹壊してから、聡美の料理は食べないって決めたんだ……」

 私は絶句し、頭を抱えた。
 ……何だその独創的な料理は。いや、それは料理とは言わない。実験だ。

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