小説『記憶のいろは』第十章その七<了>

 美衣さんが「皮がついたままのニンニクが、沢山入っていたのも臭かったけど、生魚一匹はないよ。野菜全部生臭くなってるんだもん……」とげんなりした顔で猫田さんに訴えている。
 それに対し猫田さんも「猫田が食べたこんにゃくも、生臭かった!」と対抗していた。

 もうそれ以上聞きたくないと思うほど悲惨な話だ。
 野菜炒めに生魚というのは一体どういう発想なのだ。
 丸ごとということは下処理も何もしていなかったに違いない。
 お腹を壊すのは当たり前だ。

「……もしかして聡美さん、料理が得意って部分も切り捨てたんですかね?」

 違うと言って欲しかったのに、二人が揃って何度も頷く。
 そう言えば私の料理をやけに絶賛していたっけ。
 まさかそんな理由だったとは。
 ……確かに息子たちとの思い出と切っては切り離せない部分だけれど。

 とそこまで考えて、私は目を見開いた。

 じゃあ聡美さんは信司に頼まれても、シュークリーム作れないってこと……?
 いやそれ以前にまともな料理を息子たちに食べさせられないじゃないか!

 考えれば考えるほど、頭がくらくらする。
 一体何なのだ、あの人は。
 ちゃんとしているようで、全くちゃんとしていないではないか。

「……じゃあ美衣さんは現実世界に行ってお腹がすいた時は何を食べているんですか?」
「あたしはいつも沢山のお菓子食べるか、ハンバーガー買って食べてる!」

 反射的に「そんな食生活絶対ダメです!」と絶叫してしまう。
 それでは心の安定どころか、体の安定すらままならない。
 かといって幼い美衣さんが料理を作れるとは思えないし、猫田さんは猫だ。
 調理器具を知っているかどうかすら怪しい。

「じゃあさ、現実世界でもひまわりが作ってよ! あたしだってお腹いっぱい美味しいもの食べたいもん!」

 まさかの正論に、私はぐっと息を止めた。
 続けて美衣さんと猫田さんが私に飛びつき「お願いー」と甘えてくるから、顔をしかめてしまう。

 そりゃあ私が作った料理を食べてくれたら安心だけど、その料理を食べる体は聡美さんで……。
 ぐるぐる考えている間も、猫田さんは私の服をひっぱり、美衣さんは私におんぶして「お願いー」を繰り返している。

「お願い、お願い、お願い、お願いー」
「お願い! お願い! お願い! お願い!」

 ――本当にもう、この子たちは!

「わかりました! 現実世界にいって料理しますよ! でも、勘違いしないでくださいよ、私は美衣さんと猫田さんのために料理するんです! 決して聡美さんのためじゃないですからね!」

 念を押す部分は聞かず、二人は歓声をあげた。
 部屋を走り回り、「美味しい料理ー!」や「野菜炒め以外ー!」と叫んでいる。
 二人の様子を見ながら、『まあこれも悪く無いか』と思ってしまう。
 二人が喜ぶ姿を見てみたい。一体どんな表情を見せてくれるだろう。

 ――けれど。

 聡美さんには料理をみっちり教えこまさなければダメだ。
 音を上げたって許しはしない。
 息子たちには美味しい料理を食べてもらいたい。
 ……だから次戻ってきたときには、聡美さんに料理の基礎から教えよう。

 ……私も逃げてばかりではいけない。

 まだ部屋を駆けまわる二人の背後に広がる青空を眺めながら、これから騒がしく、色鮮やかな日々になる予感に、私は少しだけ笑った。

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