本当に自分は自分なのか。

先程の記事の続きです。そして哲学的な問題です。

さて、幼いころのあなたは、本当にいまのあなたの過去ですか?

それはそうでしょう。って皆さん答えられますよね。
だって記憶も意識もあるもの。

こういうのを自我同一性というのです。
忘れたところはあるにしろ、自我が続いているから、
過去の記憶は、自分の記憶である。と言えるのです。
(自我という言葉は難しいので意識という言葉で考えていただいても結構です)

そう考えると、困ったことがあります。
私には一定期間全く記憶がない。
nullであるわけです。
そこの隔たりはどうすればいいの? ということになります。
自我も何も、生きてきた記憶が無いんですから。

本当に、自分は自分なの?


……実はこのことで結構悩んだんですよねぇ。

だって思い出せないし、覚えたままの幼い記憶だったり、
ところどころぽんと飛び地的に顕れる記憶は自分のものだと思うけれど、
例えば三歳の記憶から気がついたら三十歳の記憶になってたら誰だって驚くじゃないですか。
私は、誰だ?って。

でも今は答えは出ています。

人生とは地層のようなものなのです。
子供の頃からの記憶が地層となり、その一番上に今現在の自分が立っているんですよね。
色合いや何か大きな天災(困難な時代)があったとしても、
地層は出来上がり、自分がそこに立てれば、自分は自分なわけです。

私の場合はその地層の一部がアクリル板になっているだけなんですよね~。
ちょっとおかしな地層だけれど、ちゃんと上に立っているので、自分は自分です。
アクリル板を気にしなければ、特に問題ないです。(笑)

なんだか小難しい(?)ことを書きましたが、
記憶がなくったって自分は自分だよー。という話です。(笑)

この記事へのコメント

  • てるい

    勿論、私の記憶は私自身の記憶です。だから理解というのは難しいのです。記憶がないというのは不安なんですか、そこの所を、理解するのが、難しいです。なんとか、アクリル板のある地層の上に立ってるようで、それは安心材料です。特に問題はない。と言う事で生きていれば、正しいかと思います。 I
    2017年07月01日 21:28
  • 木村草子

    >てるいさん

    例えばてるいさんが過去の一切合財を忘れたら、どうされます?
    隣りにいる奥さんも誰か判らない、子供も誰かわからない。
    私は大事な人は覚えていましたが、記憶とともに多くの人を忘れました。
    でも昔はとても悩みましたけど、吹っ切れましたねぇ。
    もういい加減病歴も長くて、思い出せそうもないですし。
    2017年07月01日 22:44